「生きものを殺さない」ということは、「生命を与えているに同じ」

仏教では、「生きものを殺さない」ということは、「生命を与えているに同じ」とします。ものを「盗まない」ということは「ものを与えるに同じ」です。
 積極的に「与えている」のではありませんが、奪っていない、妨害していないということは消極的であれ「与えている」ことになるのです。
 これは戒律を背面から考えているものです。
 新型コロナイウルスを直接消滅させる薬や罹患を防ぐワクチンは現段階では未だ開発に至っていないようですが、新型コロナウイルスを消滅させる薬やワクチンに代えて、対抗策としたのは「密室」「密閉」「密接」を避け「手洗い、うがい、出歩かない」等ということであったのであり、それが結果的には効力を発揮したことがわかります。
 私たちは「密室」「密閉」「密接」を避けたり「手洗い、うがい」は自分を守ることであっても積極的に新型コロナウイルス消滅に対応しているわけではないと考えます。
 ましてや「出歩かない」等ということは「何もしていない」ことであり、「行動していないこと」に他なりませんから、新型コロナウイルス蔓延抑止や伏滅には何もしていなかったように思いがちです。
 しかしそうではありません。
 「密室」「密閉」「密接」を避けたり、「手洗い、うがい」をすることは自分が罹患することを防ぐばかりではなく、自分が罹患して他者にうつすということを防ぎ、さらには自分が罹患し病院関係者などの力を割くことを防ぎ、その結果、新型コロナイウルスにすでに罹患した他の患者さんや他の病で苦しんでいる人のために、その分の治療や対応時間、さらに薬類や医療機器などを振り向けることにもつながり、対応や治療を促進することにもなります。
 「出歩かなかった」等のことも同じです。「出歩かなかった」等は、以上に加え、より直接的に蔓延の連鎖を断つ非常な貢献であり、自利と利他を満たす行為に他ならないのです。
 これらはいずれも自分の罹患を防ぎ、他者の罹患を防ぎ、罹患の鎖を断ち切り、新型コロナイウルスの蔓延を抑止し、医療崩壊や医療に携わる人の負担を軽減し、それをもって新型コロナウイルスに罹患した人や、その他の病気の人の治療に益々力を注げる環境を作り出し、新型コロナウイルス対応を始め多くの病気で苦しむ人を治癒しやすくして行くことを助けることになるという、まさしく布施行、菩薩行といってよいものです。
 新型コロナウイルス蔓延に対する日本の対応を見ますと、「密室」「密閉」「密接」を避けたり「手洗い、うがい、出歩かない」等という一見「小さな行動」や、時によれば「行動をしない」ことこそがが、新型コロナウイルスの蔓延を抑止し、医療崩壊等をも防ぐ布施行、救済活動の一翼にもなるという、仏教のものの見方と実践の考えが理解できる問題であるように思います。

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