一善小行

一善小行とは、わずかでも修行を積むことで、その徳により仏の悟りの世界に近づくことができるという意味です。

実は、皆さんがお寺やお墓にお参りをすることや、自宅の仏壇にお参りするという行いの中には、五つ修行が存在しており、また同時にその修行を実践していることになります。

一、浄水(じょうすい)。清らかなお水を供えることで、自分も相手もその心が洗われ、綺麗になる布施行である。

二、仏花(ぶっか)。仏様にお供えするお花はとても美しい。その美しい花を見ると心がなごみ、自然に落ち着くことができます。優しいその姿で心静かに耐え忍ぶという柔和忍辱(にゅうわにんにく)の心を表す、忍辱の行である。

三、お香。香の煙のように、仏の慈悲を広く人々に行きわたらせる様。また、お線香が最後まで燃焼するように、一生懸命努力するという精進の行である。

四、お供物。仏様に私達と同じ食べ物をお供えします。仏様と自分が一つの命で繋がっていることを知ることで、心を鎮める禅定(ぜんじょう)の行である。

五、燈燭(とうしょく)。ともしびは仏様の慈悲の光、智慧の光を表し、悩みや煩悩の闇をこの光によって滅する、智慧の行であります。

私達のお参りをするという行いの中にも、たくさんの教えが示されています。その意味を知ることで、仏様の教えの深さを感じることができるでしょう。

身近なところにある小さな修行こそ、気付けば大きな徳となっているのです。
これからも、一善小行に励んでいきましょう。

4月 日本の良き伝統、習慣

一昔前までは、どこの家庭にもお仏壇がありました。ロウソクに火を灯し、仏飯やお茶、お香などをお供えし手を合わせます。朝には「今日、一日が始まります、心安らかに無事に過ごせますように」と祈り、晩には「一日を無事に過ごすことが出来ました。ありがとうございました」と感謝の念を捧げます。その親の姿を見て、子供達も自然と真似をし、その所作を身に付けながら、仏様や今は亡きご先祖に対する尊敬の気持ちが芽生えました。また姿や形がないものに対しても畏敬の念を抱き、謙虚な気持ちを持つことが出来たのでしょう。それは日本の良き伝統、素晴らしい習慣でした。

 今日では住宅事情や核家族化それに少子化などにより、自宅にお仏壇をお祀りしている家庭は激減してしまいました。そのことが、現在日本人の生きにくさや閉塞感と言ったものに関わっているのではないでしょうか。

 社会の中で生きてゆく上で、多くの事が我々に起こります。それは楽しいことばかりではありません。時には人間関係のトラブルや仕事の失敗などにより気持ちが落ち込み、心にわだかまりが出来てしまうこともあります。そのような時こそ、お仏壇の前に座り仏様やご先祖に対峙し、思いの丈を打ち明けてみましょう。無論すぐに答えてくれはしないでしょうが、お仏壇の前では正直な自分の心、素の自分が見えてきて、その中で気付くこともある筈です。すると、いつの間にか心は穏やかになり、気持ちも前向きになります。

 お仏壇の前で手を合わせ祈ることは、心を調え、心のよりどころを得ることでもあるのです。家にお仏壇がなくなった現在の日本人は、心のよりどころをひとつ失ってしまったことになるのでしょう。

 もちろん今日では、新たに仏壇をお祀りすることは容易なことではありません。必ずしも、お仏壇でなくても結構なのです。縁のある仏様やお寺のお札、お守りだけでも良いでしょう。それらを部屋のどこかに置き、手を合わせ祈る場所にする。生活空間の中に、ほんのわずかでも、そんな場所があれば、心のよりどころとなり、心穏やかに安心を得ることが出来るのではないでしょうか。

葦原の亀🐢

多分、45cmはある🐢亀がいます。大きな身体を揺らしながら、首を高く上げ、葦原から道を越えて田んぼ付近へ、姿を消します。何の為かはわかりませんが、年に1度見かけます。私が覚えている限りは、20年近く毎年、見かけます。
それが、新幹線の工事で2年前から見かけなくなりました。大きな橋梁が葦原辺りに設置されたからです。

花が咲くと、人は喜び、惜しまれつつ散るのに、雑草は嫌がれつつ生えては捨てられる。花も草も共に大自然の因縁の働きによって生じて来たのです。
花は人に喜んでもらいたいために咲いたわけではなく、雑草は人に嫌がらせをするために生えたのではありません。
なのに、人間の都合で勝手に良いの悪いのと差別するのです。
あの亀にとっては、危険な道を横切り、家族の為か、生き残る為か、よほど大事な事なのです。
私達は、当たり前に鈍感になり、感謝と犠牲の上に生きています。
      

師走最後の御言葉

いよいよ今年も押し詰まってまいりましたね。どちらのご家庭でも、そろそろ家の大掃除が始まるころでしょう。大掃除となれば、家族があちらこちらを分担して行われることが多いようです。 
私の知人Nさん宅の大掃除はちょっと学ぶべき点があるのでご紹介しましょう。 
それはお仏壇のお掃除と、お便所のお掃除を最後まで残しておくのです。そしてお仏壇もお便所も、必ず家族全員で掃除するというのです。 
「お仏壇はわが家で最も大切なところです。家族のよりどころです。困ったこと、心配ごとがあったら、だれかがお仏壇の前でお祈りをしています。困ったと きの何とやらで、仏さまには申しわけないのですが、いよいよ困ったことがあるとおすがりせずにはおれません。人の心の弱さかもしれませんが、素直な心の現 れでもあると思うのです。ですから今年一年のお礼をこめて、家族全員でお掃除をさせていただくのです。」 
これはご主人Nさんの言葉です。さて次の奥さんの登場です。 
「家族が必ずお世話になるのがお便所ですね。お便所なくしては生活が成り立ちません。毎日毎日私たち家族のウンチやおしっこを洗い流すことのできるお便 所、どれほどありがたいことでしょう。お便所が使えるということは、健康な証拠です。家族のうち一人でもお便所のお世話にならなくなったら、それは不幸が あった証拠です。ほんとうにお便所さまさまです。わが家では、お便所掃除に参加しないものは、来年からお便所使えないんです……。」 
お仏壇とお便所。何だかひどくかけ離れた場所に思えますが、人の生活になくてはならない最高の場所です。お宅でもNさんのご家族を参考にされてはいかがでしょう。

祖先を祀る心として

祖先を祀る心として、「如在」(いますが如く・おわすが如く)といいます。「そこにおいでになるように」との心です。 平成22年八月のことでした。中学以来の親友T君の父上が急逝されました。どうしても外せない用事があり葬儀にはお参りできず二、三日後にお悔やみに参りました。 祭壇にお参りして驚きました。線香立にたばこの吸殻が一杯です。なんと、線香立を灰皿代わりにしていると思ったのです。
 
お勤めを始めていると、T君が、たばこを吸いながら祭壇に額ずき吸っていたたばこを「親父一服どうぞ」とお供えしたのです。 お勤めを終わって、亡き父上が「無類のたばこ好き」だったと知りました。T君は、お父さんの大好きなたばこを、火をつけてお供えしていたのでした。よくたばこを箱のままお供えしてあります。しかし、火をつけて供えるということは滅多にありません。「火をつけて供える」ところに、「如在」の心が思われます。
死にはせぬ どこにも行かぬ ここに居るたずねはするな ものはいわぬぞ (一休禅師)
 私たちは、父、母の命をいただいて、今ここにあります。父母もまた、祖父母の命を、さらに祖父母はその親の命をいただいています。先祖の血 みんな集めて 子は生まれ
絶えることなく、代々のご先祖の命をいただいて、今ここにあることの有り難さに思いをいたさなければなりません。

父母の み魂は我に 生きており 身をもて信じ 露疑わず

父母の命そのものを、今、命として生かされている私なのです。「如在」。そこ、ここ、にいますのではなく、私自身なのです。 老師のお言葉に、「仏教で祖先の法要を大切に営むということは、祖先を尊重することを通して、自分の命の尊さを確認するということである。」とあります。
祖先の法要を縁として、自分の命の尊さを確認するということがなければなりません。 お盆には、ご先祖への報恩感謝の祈りとともに、生かされている自分自身の、命の尊さを確認する機縁としたいものです。

仏様ってどんな人?

安倍元首相を殺害した山上容疑者に差し入れやお金が送られているとニュースを見ました。
思い出しました。
安倍晋三首相が、国会演説でアインシュタイン博士が日本に来日したときの言葉を引用していました。それは、「日本人が本来もっていた、個人に必要な謙虚さと質素さ、日本人の純粋で静かな心、それらのすべてを純粋に保って、忘れずにいてほしい。」という内容でした。アインシュタイン博士が日本に来日したのは1922年(大正11年)の秋11月17日です。日本へ来る船上で「ノーベル物理学賞」の受賞の報せを聞き、喜びの中の来日でありました。全国各地を講演する毎日の中で、日本の仏教に関心を持っていた博士はかねてより仏教の話しを聞きたいと思っていました。そこで博士と対談した方が、浄土真宗僧侶 近角常観師でした。 そこで、博士は「仏さまとはどういうお方ですか?」との質問をされ、それに対して近角先生は「姥捨て山」のお話をされました。 昔、信濃の国では、親が年を取って一定の年齢になると、食い扶持を減らすということで、山に捨てに行かなければならない掟のある時代がありました。 息子が、やむなく年老いた母を背中に背負って、山の奥へと上っていく途中に、母は手に触れる木の枝を折っては道に落とし、を繰り返していました。息子はその様子を感じながら「母はまさか、寂しくて村に帰ろうとするときにこの折った枝を頼りに山を降りようと目印に枝を折っているのではあるまいか?」と母を疑っていたようです。ところが、山の捨て場について、いよいよ母を捨てて帰ろうとするそのときに、母は息子に言いました。「山もだいぶん奥まで来て、お前が村に帰るときに道に迷わないように枝を折って道に落としておいたからそれを頼りにしていけば間違えることなく帰れるから、気を付けて帰れよ。」と、合掌して別れを告げたそうです。その言葉を聞いて息子は泣き崩れ「なんと私は恐ろしいことを考えていたのだろう。わたしは母を捨てよう、帰ってきてもらっては困ると考えていたのに、母は見捨てられるのにも関わらず私のことを案じていてくれる。」と、母に両手をついて謝り、母を再び背中に乗せて山を降りたということです。

古歌に 「奥山に 枝折る しおりは 誰がためぞ  親を捨てんと 急ぐ子のため」とあります。近角先生はアインシュタイン博士に「この母の姿こそ仏様の姿であります。」と話されたそうです。 どんな状態にあろうとも自分の事は一切顧みないで、ひたすらわが子のことをのみ考え心配している姿。今まさに自分を捨て、殺そうとまでしているわが子を見捨てることが出来ず、どうにかして救いたいとする姿。これこそが真実の大慈悲の仏さまの心であると話されたのです。アインシュタイン博士は、帰国に際して「日本には仏教というあたたかく深い宗教がある。こんなにも素晴らしい教えに出会えたことは、私にとって何にも勝るものである。」と、語られたそうです。

『赴粥飯法』は食事中の作法

『赴粥飯法』は食事中の作法

器や筯、匙を扱う際は「カチャカチャ」音を立ててはならない。隣の人の器の中をのぞき込んで「自分より多い」などと不満に思う心を起こしてはならない。大口をあけてご飯を食べたり、音を立てて咀嚼したり、吸ったり、舌で舐ったりしてはならない。仏も「舌舐めずりをして食べてはいけない」と教えている。落ちたものを拾って食べてはならない。頭鉢のご飯はかき混ぜたり、おかずを盛ったり、汁物をかけたりしてはならない。臂を坐禅を組んだ膝に突いて食べてはならない。「手でご飯を取り散らかして食べてはならない」仏もそう教えている。

頂く早さは周りと合わせなければならない。自分だけ早く食べ終わってキョロキョロしたり、周りを急かさせたり、逆にマイペースで周りを気にせずゆっくり食べて皆を待たせるようなことがあってはならない。頭を掻いたり、ゴソゴソと動いたり、欠伸をしたり、鼻をかんで音を立ててはならない。くしゃみをしそうになったら鼻を手で覆いなさい。歯に挟まったものを取る際は必ず手で口を覆いなさい。果物の種など食べられないものは隣の人が見て嫌な思いをしないように隠しなさい。

食べ物が口に入ったまま話をしてはならない。仏は「舌打ちをしたり、喉を鳴らしたりしてはならない。息を当てて暖めたり、息を吹きかけて冷ましながら食べてはならない。」と言っている。また仏は「ご飯は極端に小さく丸めたり、大きく丸めたりするのではなく、綺麗に丸く整えて食べなければならない」と言っている。匙は真っ直ぐに口へと運び、ご飯がこぼれ落ちないようにしなさい。もし、ご飯の中に脱穀されていない粒や、砂や、虫などが入っていたら食べてはいけないし、隣の人に知らせたり、食事の中に唾を吐いたりしてはならない。一度食べ終わったのなら、もっと食べたいという気持ちを捨て、もっと欲しがって唾を呑み込んではならない。

生もわれら 死もまた われら

生もわれら 死もまた われら

 死ぬのはこわい、いつまでも生きたい、死なない方法はないものでしょうかとの願いに、ある人が1つあるよ、それは「生まれてこないこと」と言ったそうです。まことに明快な答えといえましょう。
 この世に生を受けた以上必ず訪れるのが死であり、例外は許されません。文字どおり死亡率は100%です。あの一休禅師はこんな歌を残されています。
 門松は冥土の旅の一里塚
 めでたくもありめでたくもなし
 おぎゃあと生まれた時から、すでに死に向かって私たちは進んでいるといっても過言ではありません。
 志賀直哉さんの小説『城の崎にて』は作者が温泉で療養中、動物の生きざま、死にざまを目にして、その体験からつかんだ、生と死に対する感慨を述べたものですが、その結びとして「生きていることと、死んでしまっていることと、それは両極ではなかった」と述懐しています。
 丁度、紙に表と裏があって、表を生、裏を死と考えますと、表と裏はひっついており、切り離すことができません。それとおなじように、人間の生と死も別々のことではなく、死を抜きにしては生が考えれないわけです。つまり生を解決するには死を解決せねばなりません。
 清沢満之師も「生のみが我らにあらず、死もまた我らなり」と述べられています。とかく私たちの日常は生きることばかり考えて死ぬことを考えないで生活しているように思います。いかがでしょう。
 何といっても人生における最大の事件は死であって、後生の一大事と受け取らせてもらいたいものです。

新年が明けました。

新年が明けました。
ととしどしにわが悲しみは深くして
 いよよ華やぐいのちなりけり(岡本かの子)
 私たちは暮らしながらに老けていきます。だんだん歯が抜け、腰やひざが痛くなり、耳も遠くなっていく。老いていく悲しみばかりなのに、岡本かの子は「いよよ華やぐ」と歌っています。限られた人生を歩き、人生を生きる。求めざるに、老いに「オイ」とポンと肩を叩かれて仰天する。仰天するでなしに、後ろから近づいてくる老いを静かに眺めて、来るんならいつでもどうぞと言える生き方ならすばらしい歓びです。
 私たちはそのためには、自分の老いを作り上げねばなりません。体の老いに抗することはできませんが、私の人生の生きようまで老いに押さえられてはなりません。人間の脳細胞は使わなければますます退化していくと言われています。七十過ぎてからでも何かをする、新しいものに意欲を燃やす、趣味にいきる、みな老いを転換する方法です。しかし所詮この転換も本質的解決にはなりません。
 岡本かの子は、実は親鸞聖人から華やぐいのちの歓びを頂いて生きていかれました。すばらしい芸術的素質を持ちながら、自己の煩悩にさいなまれ、夫一平の愛欲にも翻弄されていた彼女は、聖人の苦悩と煩悩に満ちた生涯、人間的な人柄にのめりこんでいきます。聖人の徹底した自己否定と自己批判、そこから生まれる凡夫の自覚を通してこそ他力念仏の道が開かれると教えられます。
 人生の後半、望まずして必ず対面する老いにしろ、人間は与えられた宿命を背負いながら、自分の人生を歩く以外にどうすることもできない存在ですから、素直にそのままうなづいていくことが老いを超えていくことになると言えましょう。

挨拶は、禅宗から出た言葉です。

挨拶は、禅宗から出た言葉です。〈挨〉はお弟子さんが先生に命をかけて禅の奥義を質問することです。〈拶〉は、先生がお弟子さんの質問に答え、また逼(せま)ることです。 禅宗では、挨拶は真剣勝負のやりとりだということです。 みなさんは、朝の「おはよう」を真剣勝負のところで考えてやっていますか?また、子供たちが挨拶したとしても、親たち先生たちが、挨拶を真剣に返してくれますか? 挨拶ひとつで人生が変わるわけがないと思っているのではないでしょうか。 あるおばあちゃんの話で私が感動した話です。
 〔私の二男で、特別何のとりえも無い漁師の二男に嫁を迎えました。この嫁は、特別教養があるわけでもないのですが、体だけは健康やというので、いただいたのでございます。嫁に来てくれた最初の朝のこと、お膳がととのったので二男が席に着きますと、その時嫁は急に改まって両手をついて 「おはようございます」と丁寧におじぎをしたのです。私たち親としては初め、二男がもしや嫁に軽蔑されていぬかと案じたのですが、立派に夫として立てられている様子を見まして、気持ちよく安心したのでございます。 嫁は、今でも毎朝の 「おはようございます」 を続けております。 孫たちもこれを見て上手にお辞儀ができるようになり、夫婦、親子、主人と使用人の間に親しいながらも礼儀がしっかり行われるようになったのも、嫁が十年一日の如く行いぬいた、「おはようございます」のまじめな態度が生んだ賜物でありますので、ほめるのも変ですが感心な嫁でございます。 実は、手前ども若い時代を顧みて、こんな簡単な礼儀さえ怠っていたことがつくづく恥ずかしく思った次第です。そして、私たち年寄りとしては、大きな箪笥や鏡台やピアノが運びこまれるより、何よりも大切な心の宝を持参してくれたこと、どんなに良かったか知れません。孫娘たちにも、どうかこの一番大切な心の宝だけは持たせてやりたいものだと思っております。〕
 挨拶が人生を幸福にしてくれることもあるのです。お嫁さんは、新婚最初の日に、命をかけて「おはようございます」と挨拶をし、習慣として十年一日続けた。おばあちゃんはこれを見て自分自身を反省したのです。 本山の生活信条に「一日一度は静かに坐って、身(からだ)と呼吸と心を調えましょう」と、あります。 朝一番に、今日はすばらしい挨拶をしようと思い、夜には今日はちゃんと挨拶できたのだろうかと反省してみてください。 人間は、誰かに挨拶が悪いなんて言われると腹がたちますが、自分自身が、「今日僕はちゃんと挨拶ができただろうか」と思うと、心が調うものなのです。 調(ととの)えることは、調べることでもあります。いつも、私たちは、自分の心を調べ、調える習慣をつけることが大切ですね。